V3終わらせた

ロンパ1・2はずいぶん前にやってたんだけど、積んでたV3をとうとうやりました 面白かったです

以下ネタバレ感想

最後の章が賛否両論なのだけは聞いてたけど面白かったしかなり好きだった!
もっと早くやればよかったな、若い頃のわたしが遊んだら怒るのかどうか知りたかった(そこ?)

王馬小吉

友達にこいつが狛枝ポジだよと嘘を吹き込まれていたせいで2章からずっと私に「なぁ…コイツまともじゃない?」「学級裁判でも全然邪魔じゃない」「正気すぎる…」と言われ続けた男。全然……全然推理の邪魔なこと言わない……なんなら止まりがちな議論をうながしている……なんてストレスにならない男なんだ…………

まぁそれはともかく、嘘か本当か本気か悪ふざけか、誰にもわからないしわからせないという点でダンガンロンパV3の擬人化みたいなキャラだなと思った。でも一番びっくりしたのが超高校級の総統っていうのが嘘じゃなかったことなくらいわりとずっと一貫して”マジ”なヤツだった(ようにわたしには見えていた)よ。ゴン太のために噓泣きしたのは、その瞬間のゴン太にとっては本当のことだったよ。

わたしはユニコーン気質なところがあり、女の子に下ネタぶつける男はやや苦手なんだけど、入間を便器呼ばわりするのは一周回って好きだった。短い華だったね……

あとクライマックス推理のマンガで死にかけてるところずっとかわいかった。チャーミングなやつだね。顔を見るとドギマギするような危なさはなかったけど、真意を探ってみたくなるような不思議な注目を集めるキャラだったな

ウソダマのシステム面白かったな。偽証にはドキドキと不思議な爽快感があってすごく好き。普通は裁判で嘘なんてつかないほうがいいけど、今作はモノクマ(=ゲームの世界)に立ち向かう主人公たちが嘘を武器にするというのがなんかキレイな構図だ。モノクマはゲームの性質上、不正(嘘)を許されていないからカウンターになりうるという。

王馬にどこかでまとめて最原が今までついた嘘を糾弾されて皆からの信用を失う展開があるのではないかとビクビクしていたけどそんなことはなかった。卑怯とかは言われたけど、なんだかんだ嘘を”使う”ことに対して寛容というか、そういうものだと思ってそうだな。議論の外のことで議論を壊すのもつまらないのかもしれない。

最原終一

めちゃめちゃ童貞でかわいすぎる。たまらん。これは攻め。

真実を追い求める人でありそのために嘘をつく人であり矛盾してていいね。5章の裁判とか、真実を追い求めなければ叶えられた想いもあったかもしれないけど、それでも彼は全く推理の手を止めなかったな。表面の弱さと内側の不安定な強さがたまらんね

デスゲーム

これだけ嘘がテーマなんだから最後に全員生きてましたチャンチャンとかされるかと思ったけど普通にみんなガッツリ死んでた!!!!そうだよな、じゃないと重くないもんな。他人の命をコインにして遊ぶギャンブルは楽しいか?という問いで、それが命じゃなかったら問い自体が矮小化されるもんな。とはいえルール違反で普通に殺された赤松浮かばれなさすぎる。だからこそ終わらせられたんだけどね。

わたし自身が「命とかさぁ、普通に大事だろ」と思う非常に平均的な人間であるためデスゲームもの自体に愛着はないんだけど(なぜダンガンロンパをやっている?)、作っている側もやはり人の命をエンターテイメントにすることに倫理的な葛藤があったのだろうなと思わされるゲームだった。シリーズのナンバリングが増えるたびに作品そのもののストーリーラインやキャラクター性よりも「コロシアイ」という言葉が独り歩きするようになっただろうし、過激で新しい”コロシ”が期待されるようになったと思う。一般人の最原が面接で言ってたのとちょうどおなじように。

この最終章はプレイヤーを真っ向から否定しているようなものだから評価が賛否両論なのはプレイヤー心理として当たり前だと思うけど、お金払って遊んでるプレイヤーの前で匙投げてちゃぶ台ひっくり返すだけじゃなくて、「この”フィクション”のプレイヤーはきっと最原の想いを受け取ってくれるだろう」という信用ありきのゲームの構成をしていて、じゃあ信じてくれるなら答えたいじゃんと思うわけ。否定と信用、どっちもあるけど、信用のほうが大きいよね。じゃないとこのゲームリリースできないし。挑戦的だなぁ……まぁ、なにが嘘でなにが本当かなんかわからないから、どうとでも取れるというかどうとでも取っていいと思うけど。そこがこのゲームのバランス感覚なんだろうな。

余談ですが「研究教室が解放されていない人が被害者/クロになる可能性は(よほどのキーパーソンでない限り)低い」とか、「調べられるオブジェクトの多い研究教室はコロシに使われる可能性が高い」とか、かなりメタ的な理由で白置き黒置きできてしまい推理パートは1・2より簡単に感じた。1・2のときは「本当になにがなんだかサッパリわからない…」と頭を抱えながら学級裁判に挑んでいたわたしの知能がそのときより向上しているとは思えないので、わざとかもしれない。

フィクション

今回は劇中劇みたいなものなんだろうなというのはプロローグの時点でぼんやり察してはいたんだけど、元の人格完全消去までは想像してなくておったまげたぁ!すべてが作られたものなら、実際の命があってもフィクションか。そこに何の違いがあるのかはあんまり深堀りされてなかったし置いておくとしても、「消費すること」はもちろん「作り出すこと」の残酷さもうっすら感じた。弄ばれるフィクションの命をプレイヤーが消費することがグロテスクならクリエイターが作り出すことも同じくグロテスクだ。共犯関係にあるからこそ一緒に終わらせたのかもしれない。

表と裏

希望と絶望とか愛と憎悪とか信頼と諦めとか、いろんな概念の表と裏が描いてあるのがいいゲームだなと思った。人の悪意に深く絶望してもなおどうしても人の善意を信じたい、そういう同時に存在できる矛盾というか。

わたしが遊んだ遠い昔の記憶ではダンガンロンパ1・2は一貫して「希望は絶望に負けない」を描いていて、それは当たり前にこの社会のなかで正しいとされることなんだけど、片面だけじゃなく両面描くことで生々しく人間への絶望と人間への希望が伝わってきて、めちゃくちゃフィクションなゲームであるにもかかわらずめっちゃ「心に届ける」ためのゲームだ。

もちろん、1・2が片面焼きだとすればそれはプレイヤーが心理的負担を感じずにまっすぐメッセージを受け取るための構造だし、それはそれでコンテンツとして正しいことなんだよ。ただ、ダンガンロンパを本当に人生の一部にしてほしいからこそこういう強いメッセージを持って作られたゲームだと思うし、その情熱でシリーズを終わらせたことがわたしはなんだかとてもいい気持ちになった。

懺悔

キーボの名前の由来、逆から読んで勃起なんだと思ってた。あまりに入間との下ネタが多かったから。あと視聴者アンケートの下からずっとわたしの中に「dボタンくん…!」という言葉が浮かんでは消えなかった。本当にすみません。

いろんなキャラいたけど、個人的には赤松がV3の象徴的なキャラだったかな~今となっては確かめることもできない赤松の優しさや想いを自分にとっての”真実”として受け取っていたいと思う気持ちこそがダンガンロンパV3のゲーム体験だったかなと思う。わたしにとってのね。

ところで、双子の妹ってなんだよ。

他の記事を見る…